Saturday, January 8, 2011

イスラム教:預言者ムハンマド 「4」

もう寸刻の猶予も許せなかった。ムハンマドは数名の教友たちと命からがらメッカを脱出する。このためムハンマドは一時メッカにおける宣教活動に見切りをつけ、、数名の同志に守れてひそかに同市を脱出し、メディナ(ヤスリブ)に移った(622年6月16日)。オアシスの町メディナにおいて、彼はユダヤ教徒との戦略的協調を主軸としつつイスラム教団の再建と充実をはかった。

イスラム教徒はこのメディナへの「移行」を「ヒジュラ」(聖還)と呼んで重視し、「ヒジュラ」第1年を以てイスラム暦の紀元元年と定めた。メディナにおける教年間の雌伏(しふく)ののちムハンマドは蓄積されたイスラム共同体の団結力と経済力を背景として、イスラム聖戦軍の組織と編成に成功した。優れた軍略家でもあったムハンマドはいくたびかの挫折(ざせつ)にもかかわらず、不屈の意志をもって体勢をたてなおし(たとえばバドルの勝利-624年)、ついに1万の大軍をひきいてメッカを包囲した(630年ヒジュラ8年)。
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